今日もクイーン関連

今日読み終えた本は『ニッポン硬貨の謎』(北村薫東京創元社ニッポン硬貨の謎


「クイーン来日」という現実と「クイーンの未発表原稿」という虚構を額縁として
「五十円玉二十枚の謎」と幼児連続殺人事件というキャンバスに、北村薫の「クイーン論」
によって描かれる作品。


という説明が可能と思われるこの作品。本当は「まさに全盛期のクイーンを読むような」
みたいな感想が書きたかったのですが、残念ながらそうではありませんでした。


クイーンのパスティーシュとしては優れた作品ということはできても、「ミステリ小説」
としては今ひとつという評価です。


私の場合、まず「とにかく読む」。その物語・文章に引っ張られるまま読み進む。そして
その速度こそが面白さに比例すると考えます。このスピードが速ければ速いほど、読み物
としての評価は高くなります。
次にミステリとして、なかでも本格(これは”定義”できない)ミステリとして優れて
いるものは、そのスピードの中でもはっきりと加速がかかっていることが体感できる。
「謎解き」の部分での論理展開にリズムがあって、終局に向かってひたすら突き進む。
もしくはある高みに読者を持ち上げるため加速させる試みがされている。前者の最高
の形としては最終ページでの犯人指摘となり、後者では思いがけない「どんでん返し」と
いう形をとることになります。


上記の点で『ニッポン硬貨の謎』は、そもそも私の評価尺度とは違う着地点を目指した
ものと感じる訳です。とはいえ、この1作品に最初に書いたような形式・内容を詰め込む
ことができるのは、北村氏しかいないというと語弊がありますが、現在のミステリ界で
異論が出ることのない数少ない小説家であることは間違いありません。
登場人物により語られる北村氏の「シャム双子の謎」論は、学生時代ミステリ研究会でも
ないサークルで「クイーン紹介」レベルのクイーン論を発表した私レベルでは思いつきも
しないものですし、”訳注”のおもしろさ(あらゆる意味で充実)など、まさにクイーン
ファンは必読といって良いでしょう。


こんな評価もできるが故に、私がミステリ小説としても「おもしろい」と感じられるよう
なものであって欲しかったのです。不満な点は以下のようなものです。


パスティーシュという形式をとってしまったための緊迫感の無さ。これは日本というもの
をあまり理解していない外国人の日本描写を模写した結果なのですが、幼児連続殺人という
シリアスな内容と合っていない印象がするのです。事件の内容をもう少し軽いものにでき
なかったかという表現の方が良いでしょうか。ましてやクイーンファンは「あの作品」を
思い出さずにはいられなくなるので、あの時の興奮を感じられるのではという大きな期待を
持ってしまうのですから。
また招待されて来日した「お客さん」としてのクイーンとして存在しているため、事件と
の距離感があり、当事者(?)としての悩みが現れない。それゆえクイーン独特の論証に
辿り着く、もしくは直感として取得される経緯が得心できないのです。前とは逆の意見と
なってしまうのですが、あのまさにクイーンというべき論証を生かすためにはクイーンが
「悩まなければならない」ようなストーリーにすべきだったのではと感じます。



書いていて「無いものねだり」をしているのは重々承知しているのですが、尊敬する
北村氏にはそこまで望んでしまう訳です。